学校案内>校章と校歌・沿革


 ■校章と校歌

 1567年(永禄10年)(一説に1566年)、織田信長が斎藤龍興を亡ぼし、居城を現在地に定め井之口村 を岐阜と改名した。井之口村の由来について、郷土史家の故郷浩氏によれば、当時農業用水 を井水といい、この水の取水口が金華山麓にあったので、この名が生まれたのではなかろうかとのことで ある。
 1904年(明治37年)4月1日、岐阜市立商業学校(旧制)の開校に際し、この井之口の井桁をとり入れ 図案化したものを校章とした。以後1949年(昭和24年)学制の改革により公立高等学校の学区制が定めら れて、岐阜市立長良高等学校となるまで、この校章は名誉ある幾多の伝統を受け継ぎ、多くの優れた人材 を世に送り出したのである。
 1968年(昭和43年)岐阜市が市制施行80周年を記念し、再度市立商業高等学校を建設するにあたって、 旧制岐阜商業学校の卒業生、ならびに一般市民の人々の強い意見を尊重し、本校の校章として復活した。
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 ■沿  革
  
昭和43年8月 岐阜市制施行80周年記念事業として、「岐阜市立岐阜商業高等学校」建設の方針を岐阜市長が発表
昭和43年10月 岐阜市議会において、仮校舎として、岐阜市立梅林中学校の旧校舎を使用することに決定
昭和43年12月 定例市議会において、岐阜市立学校設置条例の一部を改正する条例を議決
昭和44年1月 岐阜県教育委員会の設置認可を受ける
昭和44年4月 開校式および第1回入学式を挙行。経営科93名、経理科46名、事務機械科46名が入学
昭和44年12月 第1期工事完成
昭和44年12月 仮校舎(梅林学舎)より本校舎へ移転。竣工式を挙行
昭和46年3月 第2期工事及び体育館竣工
昭和46年5月 校舎・体育館の落成式、グランド開き、校歌・校旗の披露
昭和47年3月 第1回卒業式挙行
平成47年4月 事務機械科を情報処理科に科名変更
昭和47年8月 プール完工式、プール開き
昭和49年5月 格技館竣工式、格技館開き。格技場を「誠心館」と岐阜市長命名
昭和53年9月 創立10周年記念同窓会名簿発行
昭和56年1月 校地(テニス、ハンドボール用)の拡張工事が完了
昭和58年11月 創立15周年記念式典を挙行。15周年記念事業(観劇、講演会、文化祭、第1回市岐商デパート、招待試合)
昭和63年4月 経営科・経理科を廃止し、経営管理科(国際経済コース,流通経済コース,進学・経理コース)を新設
昭和63年9月 中華人民共和国杭州市総合中等専業学校と友好提携協議書に正式調印
昭和63年11月 創立20周年記念式典を挙行
平成2年2月 国際経済コース第1回海外研修(シンガポール・マレーシア)実施
平成6年3月 第二本館1階を改築し、家庭科実習室・準備室を新設
平成7年2月 国際経済コース第6回海外研修を中華人民共和国(杭州・北京・上海)へ行先を変更して実施
平成10年4月 男女共学化により女子生徒78名が入学。新制服の制定
平成11年3月 体育館(屋上プール)竣工式を挙行
平成11年3月 「先進的教育用ネットワークモデル地域事業」(学校インターネット1)のモデル校指定を受け、関連整備工事が完了
平成11年10月 創立30周年記念式典を挙行
平成12年7月 東駐車場及び人工芝張付け工事が完了
平成13年12月 マルチメディア通信実習室が完成
平成14年2月 校内LAN敷設工事が完了
平成14年12月 岐阜情報スーパーハイウェイ整備(光ファイバー敷設)が完了
平成15年4月〜 経営管理科の経理・進学コースを会計コースにコース名変更
平成16年1月 JPRSより独自ドメイン(shigisho.ed.jp)を取得
平成16年3月 「先進的教育用ネットワークモデル地域事業」が終了
平成18年10月 野球部雨天練習場が完成
平成19年4月〜 経営管理科のコースを再編(国際経済コース→総合コミュニケーションコース, 流通経済コース→マーケティングコース)
平成20年 第90回全国高等学校野球選手権大会出場 ベスト16
平成22年4月 岐阜市女子短期大学と連携授業開始
平成23年7月 校舎西棟耐震工事